NHKの
紅白歌合戦…私も幼少時は当然のように最初から見ていたが、1985(昭和60)年末の第36回から全然見なくなり、今世紀に入ってからも数分ほどしか見ない事が多かった。
この番組を見なくなった直接のきっかけは
1984(昭和59)年末の第35回で、社会現象並の超人気を誇っていた当時の鈴木健二アナウンサーが白組司会者なのに紅組の圧倒的な大勝利を以下の要領で堂々と意図的に誘導した事にある。
元々そのステージを最後に引退を表明していた都はるみが、紅組のトリを務めて涙ぐむ
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その光景に、審査員でもある大勢の観客からアンコールが巻き起こる
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それを受けた鈴木アナウンサーは「私に一分間、時間を下さい!」と絶叫するなど、会場をより一層煽り立てる
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それにより「紅組優勝を支持しない者は人間のクズだ!!」と自然に思わせるような雰囲気が、瞬く間に出来上がる
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紅組が圧勝
これほど盛大なヤラセを仮にも勝負事という形式のイベント…それも世間に絶大な影響力を及ぼす天下のNHKが放映する超メジャーな実写バラエティ番組において堂々とやられると…その異様なまでの光景をリアルタイムで見ていた子供の頃の私の脳裏には、吐き気をもよおすほど強烈な嫌悪感しか残らなかった。
そんな事を当時から平気でやっていたNHKが低俗にならないわけがない。
だから以後は紅白歌合戦を上記の通り見なくなった。
しかし
2017(平成29)年末の第68回については最後の15分くらいだけ見た。
元々お笑い芸人の中で比較的好感度の高い
ウッチャンナンチャンの内村光良が総合司会を務めると聞いて久々に興味が湧いたものの、彼がリハーサル中に負傷したと聞いて「やっぱダメかも」と思い直した末、何となく「最後の15分程度だけなら見てみるか…」と妥協したためだ。
(
もし内村氏が総合司会を務めていなければ、最後の15分すら見ようとは思わなかっただろう)
その結果は一応満足。
少なくとも私が見た僅かな範囲内では、内村氏は紅白の総合司会という大役を無難にこなせていて好感が持てたし、最終的な勝敗も紅白両者のトリを務めた曲の差がモロに出た感じではあったのだから。
ただ、元々
出場歌手・曲順の一覧を見て紅組・白組とも興味をあまり持てなかっただけに、「もっと前の時間帯から(または最初から)見ておけば良かった」とは今でも思わない。
他にも気になった点が以下の二つある。
【気になった点 その1】
・紅組:石川さゆり「津軽海峡・冬景色」…1977/01/01、シングル発売。未だに日本の演歌界を代表する曲の一つと言えよう。
・白組:ゆず「栄光の架橋」…2004/07/22、シングル発売。NHKが2004年8月のアテネオリンピック中継番組で公式主題歌に採用。
第68回でトリを務めた曲は以上の通り。
いずれも近年の曲とは言えない上、実際に私が聴き比べた限りでは両者の完成度も切迫していた印象が強い。
それだけに紅組側のマンネリ臭さおよび白組側の曲名紹介時にコールされた「アテネ五輪テーマソング」の肩書が、最終審査で白組をかなり有利にするだろうとは思っていた。
それでも、こんなに白組が圧勝するほど紅白のラインナップに差が出るのを、天下のNHKは良しとしていたのだろうか?それが疑問でならない。
【気になった点 その2】
放送の翌朝、紅組で
欅坂46(けやきざかフォーティーシックス)のメンバーが3人も(しかも総合司会の内村氏と一緒に踊っている最中に)倒れたと聞いて驚いた。
既に至る所で拡散されている当時の映像を私も後から幾つか見たところ、調子を崩したメンバーに対して内村氏が(激しくダンスしている本番中にも関わらず)それとなく声をかけて気遣っていたのが確かにハッキリ見えた。
実際に何と言っていたのかは分からないが、もし内村氏が彼女らと一緒に踊っていなければ(あるいは内村氏が総合司会を務めていなければ)それだけで事態は更に悪化していたかも知れない。
その意味で内村氏は賞賛されて然るべきだろうが、そんな美談で終わらせてはいけない。
あれだけ動きの激しいダンスをまだかなり若い女性歌手に夜遅くまでやらせている主催者側の健康管理体制は、上層部ほど今後もっと厳しく問われなければなるまい。
特にNHKは昔も今も放送業界・芸能界・視聴者の全般に対して絶大な影響を及ぼす兇悪な絶対権力者であり、「天下のNHKがやっている事は他の民放各社がやってもいいはずだ」という免罪符も実際に機能している。
だからNHKは本来、表面的な番組制作姿勢はもちろん配下のスタッフや芸能人の健康管理も、他の多くの人々の模範となるよう常に率先して気遣うべき立場にある。
ましてや前述の第35回(1984年)紅白歌合戦における醜悪で盛大なヤラセなど、何があっても絶対に繰り返させてはならない。