2018年6月28日木曜日

地震の思い出

2018(平成30)年06月18日(月)07:58頃、大阪府北部の地下約10km(場所はこちらまたはこちらの地図を参照)を震源とする、最大震度6弱,気象庁マグニチュード6.1の地震が発生。
この瞬間、私は愛媛県内で揺れを全く感じませんでした。
しかし大阪府内における被害は気象庁による観測史上最大規模となりました。
(一般財団法人 日本気象協会(JWA)公式サイト内のこちらも参照)

私は今までの人生において大阪府北部で暮らした期間がダントツで最も長い(現住所でもある愛媛県内の生家で暮らしている期間の2倍近い)上に、かつて大阪府内で阪神・淡路大震災に巻き込まれた事もあるため、この件に関するニュースは一通りチェックしています。
国立研究開発法人 防災科学技術研究所(NIED)が現在の名称でなかった2009/07/21から運営している「地震ハザードステーション J-SHIS」も、遅まきながら時々チェックしています。

※2018(平成30)年06月18日(月)07:58頃の震源地(Googleマップより)


あの地震から10日経った今、今回の他に私が発生日時を覚えている地震は2つだけ。
それらの思い出を今回は少しばかり書いてみたいと思います。

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1995(平成7)年01月17日(火)05:46、淡路島北部沖にある明石海峡の海底約16km(場所はこちらまたはこちらの地図を参照)を震源とする、最大震度7,気象庁マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生。
これにより引き起こされた阪神・淡路大震災は、兵庫県内で都市部のビル街の狭間を縫うように走る高速道路が崩落するなど甚大な被害をもたらしました。

この地震が発生した瞬間、私は夜勤を定時で終えた直後の職場で大型コンピューター機器の間にいて、片付けに取り掛かっていました。突然そこに大きな揺れが勢いよく襲ってきたので、思わず両腕で左右にある大型機器に掴まり立ったまま体を数秒ほど支えました。
揺れが収まると、非常電源に切り替わって暗くなった室内で皆と呑気に愚痴りあいながら状況確認や避難をしました。従業員の一人が不幸にも地震直後に亡くなったりして騒然となったものの、建築物の改修が必要になるほどの物的被害はほとんどなく、揺れの規模が大きかった割に全体的な被害は思ったより小さかったように記憶しています。
当時の自宅も家財道具一式が勢いよく倒れたりした割に、家族が誰も負傷しないなど大した被害がない感じでした。(あくまで当時の個人的な感想ですが…)

※1995(平成7)年01月17日(火)05:46の震源地(Googleマップより)


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2011(平成23)年03月11日(金)14:46、三陸沖(宮城県仙台市の東方70km)の太平洋の海底約24km(場所はこちらまたはこちらの地図を参照)を震源とする、最大震度7,気象庁マグニチュード8.4の東北地方太平洋沖地震が発生。
これにより引き起こされた東日本大震災は、福島県内で東京電力福島第一原子力発電所の炉心溶融(メルトダウン)により放射性物質を大量に撒き散らした最悪レベルの原子力事故をはじめとして、東日本全体に渡り極めて甚大な被害をもたらしました。

この地震が発生した瞬間、震源から遠く離れた私の職場では微弱な揺れを感じました。
当初は同僚や上司たちと共に「今ちょっと揺れたね」などと軽く話題にした程度ですが、テレビのニュースで震源周辺の大災害を知った課長~部長クラスの上司たちから数分後に連絡があり、少し騒がしくなりました。
なお、私は今ではネット検索に頼らないと「東北地方太平洋沖地震」という呼称を口にできないほど記憶が風化してきています。発生日時は元号を除いて今でも即答できるほど覚えていますが…

※2011(平成23)年03月11日(金)14:46の震源地(Googleマップより)



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