昔話をしよう。あれは私が小学6年生になってからゴールデンウィーク中、父が転勤するため愛媛県新居浜市→大阪府豊中市へ一家で転居した…それから間もない頃の出来事だ。
当時5階建て社宅の5階にあった転居先で同じ社宅に住む他の奥様連中も集めて、米国West Bend(ウェストベンド)社製「Lustre Craft」(ラスタークラフト)無水調理器具セットの販売会がホームパーティー形式で開催された。
「Lustre Craft」は底面5層/側面3層の構造を活かしたウォーターシール効果による無水調理機能を売り文句とするステンレス鍋が主体で、当時そのセットを買った私の母は数十年後の今も実家で使い続けているため既に充分過ぎるほど元が取れているようだが、それとは別に極めて印象的な出来事が当時の販売会で発生した。
元々愛媛県の旧伊予三島市(現在の四国中央市)出身だった母は、同じ旧伊予三島市の金砂町(現在の金砂湖国定公園周辺)から一家で新居浜市に転居していた父と結婚した後も、独特の方言を当然のように使い続けていた。
その方言の一つに「しゃっち」がある。元々大分県や北九州地方において「わざわざ」「敢えて」「強いて」という意味で、呆れやたしなめを含んだ「今わざわざそれする?」という意味合いも込められているらしいが、私自身はGoogleでの検索により最近やっと意味をまともに把握できた。
そして転居先の大阪府豊中市には私自身と同様に、「しゃっち」の意味を知らない者しかいなかった。
私の母が前述の「Lustre Craft」販売会の最中、何気なく当然のように「しゃっちねぇ…」と口にしたところ、主催者側の男性販売担当員を含む周囲の全員から「何その変な言葉は?」という意味合いで爆笑された。
私自身と妹と父は母と異なり元々「しゃっち」という方言をほとんど使っていなかったため、母が周囲から嘲笑された事に対する違和感や反感は、実は意外なほど湧いてこなかった。むしろ「そりゃ考えてみれば笑われて当然か」程度の感想しか湧いてこなかったほどだ。
全国的な知名度が大阪弁ほど高い方言なら、そこまで笑われずに済んだのかも知れないが…
いずれにせよ、この件をきっかけに私は密かに、方言の必要性や存在意義を根底から疑問視するようになった。
そもそも他人に意味が伝わりにくい言葉に、一体どれほど価値があるのだろうか?
地域の文化や伝統を守るためと言えば聞こえは良いが、今まで四国・関西・東海・関東を自分の勤務先の都合で(または子供の頃に親に連れられて)渡り歩いてきた私に言わせれば、「標準語以外は無理に存続させる必要が無い」という気持ちのほうが、実は非常に強くなっている。
そうは言っても日常生活において何気なく方言が口から出てしまうのであれば、それはそれでも良いとは思う。
要は方言に関して、人為的にどうこうしようと考えるよりも、自然の成り行きに任せようという事だ。
それでいいじゃないか。











